La Puerta by México Kanko | メキシコ民芸&ハンドクラフト

2022/01/15 09:00


メキシコを代表する焼き物の一つ、タラベラ焼。
プエブラとその周辺地域で作られている焼き物で、スペインから技術が伝わり、今もその伝統技術が守られています。
2国間にまたがる伝統製法の継承が評価されて、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されました
(こういう2国間にまたがるものは珍しいとか)。
メキシコシティから近いこともあり、観光地として日本から訪れる方も多いプエブラでは、たくさんのタラベラ焼が販売されていて、値段も様々。
どんなタラベラ焼を選んだらいいのか迷う方もいると思います。
そんなタラベラ焼について、まずはその歴史や、伝統を守っていくための制度についてのおはなしを。
ちょっと長いですがお付き合いください。

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プエブラで釉薬のかかった陶器の製造が始まったのは16世紀。スペイン人がメキシコに入ってくるとともに、スペイン、トレドの陶器職人たちがメキシコに到着し、工房を構えたそうです。そこからイスラム文化の影響を受けたスペインの陶器づくりがプエブラで始まりました。
1653年には陶器の職人組合が作られ、組合は総督に対してタラベラ焼の製造に関するルールを作るように要求します。
このことから陶器の製造ルール、色、素材、クオリティに関する規定が設けられ、1820年にカディス憲法が破棄されるまでの間、タラベラ焼はルールにのっとった製造が行われることになります。
1653年には20だった職人組合の会員数が、1758年には60にまで増加したことからもタラベラ焼の製造が盛んになっていったことが分かります。

国内外で広く知られることになったタラベラ焼ですが、19世紀の始めにはその生産が激減します。ヨーロッパからの製品が入ってきたことやメキシコ政府が受け入れた自由貿易により、メキシコで作ったものよりも欧米の製品が上流階級の人々の間に好まれたことが要因の一つであるようです。そして、1810年、独立革命の始まりとともにタラベラ焼のルールも運用が停止されました。1819年の職人組合のメンバーはわずか5名だったそうです。

20世紀になると観光客からの需要が高まっていったものの、業者・職人の中には伝統的な工法を捨てて大量生産の陶器に乗り出す工房が現れました。1990年代になると、質の低下や伝統的な製法が失われていくことを危惧した生産者や州政府は16世紀当時のルールをベースにした新しい制度の確立を目指し、タラベラ規制評議会(Consejo Regulador de Talavera)を設立。1997年になるとタラベラの原産地呼称制度(Denominación de Origen)ができ、タラベラ焼を製造する地理的なエリアが指定されました(※1)。さらに、1998年にはメキシコ公式規格(Norma Oficial Mexicana / NOM-132-SCF1-TALAVERA ESPECIFICACIONES)が作られました。この公式規格では、タラベラ焼が原産地呼称制度で指定された地域で製造されなければならないことや、タラベラ焼の定義、製造方法、原材料の産地や成分、検査についてなどが明記されています。この公式規格に乗っ取り、検査機関で検査を受けたり工房の立入検査を受ける必要がありますが、検査・審査をパスすることによってタラベラ規制評議会に認証され、正式にタラベラ焼を名乗ることができるようになりました。

※1 行政区分としては、アトリスコ、チョルーラ、プエブラ、テカリ

もちろん、インフラが整っていなくて認証を受けることができないという工房もあります。
認証を受けずに伝統工法を受け継ぎ、タラベラ焼の製作をしている工房もたくさんあります。
それを認証を受けていないからタラベラ焼じゃない、と言ってしまうのはちょっと乱暴な感じもします。
ただ、認証を受けていない工房の中には原材料の土がプエブラのもので無かったり、化学薬品を使っていたり、機械で陶器を制作しているところがあるというのも事実。
もちろんこのデザインが好き、色が好き、がいちばん大事だと思いますが、知っているとちょっと見方・選び方が変わるかもしれません。
伝統的なタラベラ焼の見分け方など、別の機会にお話しできたらと思っています。

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こちらは認可を受けた工房で制作されたタラベラ焼です